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コラム

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ドームカンとの出会い

 
 
 

 
 

 

 

展示会に単独出展したい思いが募る2年の日々。

 

ドームカン試作第一号のアニエスベイの紙管を改造したもの

 

 

突然のひらめきと偶然がその後の私たちを変えた。

 
もう何年も前、パッケージ業界の協会が100社ほどの協会員の自社パッケージを展示する時に協力要請がありギフトショーのビックサイトに数年立っていた。自社ではない数十社の同業他社製品を説明し販促しているとき、横4コマもあるブースで前を通る入場者が多いのにも関わらずほとんどブースに入ってくれない。なぜ、紙箱及び総体した包装産業は人気が無いのだろう?と思った。とても産業会では重要な業種なのに、まだまだパッケージの重要性やデザイン性など表舞台に出てこない時代。華やかな装飾を見せつける他業種のブースで人が溢れかえる状況を見て羨ましく悔しかった。いつか既製品を並べるだけでなく、自社開発したパッケージだけで単独出展し、人が溢れるブースを作ってみたいという衝動に駆られた。パッケージでもそれが必ず出来るはずだ。でもその時はそんな自社開発したパッケージなんて当社には何もなかった。何もない状況では社内に今後新しい技術や新しいパッケージシステムを生み出す土壌など育成できるはずもなく、過去と同じことを繰り返してしまい大勢の顧客、協力工場、新人やクリエイター達が大勢集まる魅力ある企業にならなければ、100年企業になんてなれないと思った。営業として売り上げを上げなければならない使命とこの変革を同時に行う難しい場所を選んだ。もう一度決めたらどんな避難を浴びても遂行する決意をした。お客様や関係者はいつか必ず分かってくれると信じた。そして延々とその新しいパッケージ開発を模索する日々が始まった。でもそんなこと簡単に落ちている訳がない。自分は営業職で学生時代は体育会系。工業技術やデザイン美術などいっさい手を付けたことがない。本当に気持ち悪くなるくらいに毎日、毎日創造した。1年以上もこんな感じ。でもまったく浮かんでこない。・・・しかし体育会系の良いところなのか、まったくそんな状況でも気にしない。必ずできると思っていましたので、なぜならこの業界で無理難題が起こると必ず出来ないと返答する人が多く、なぜ出来ないか?を問うと、その返答がまともに返ってこなかったからだ。でも今から思い返すとそれで良かったのかもしれない。出来ないことも出来ることもまったく分からなかったから突き進むことができた。そしてその後の自分を変えて行く運命のあの日が訪れる。とうとうそんな思いから2年を迎える日、同僚の営業が自分用でアニエスベイの時計を購入してきた。それは90mmΦの黒い紙管でロゴが白箔を打ってある紙管に入っていた。とてもかっこ良かった。そして私の机の上には開発のネタとしてコンビニで購入してきたスイーツの透明なドーム状の容器フタが1個あったのだ。突然閃いた。合体させよう!なんとそのスイーツの容器フタは紙管フタにぴったりとはまる90mmΦという偶然も起こった。二つを合体させるとみごとな容姿で瞬間鳥肌がたった。慌てて皆に見せたが、まったく反応がなかった(笑)が自分は「来た!」と思った。早速自社工場にサンプルを送り紙管製造機でドーム状パーツを付けられるのか問い合わせると、出来ないの即答。なぜ?糊が着かないから、・・・ならば着けるようにしたら?答えはいっこうに出ません。紙管のカール部分とプラスチック部分の少ない接点で異素材なため糊接着強度が弱かった。ならば糊の溜る場所を作ればいいと進言し、すぐさま私は紙の輪を考案、そのパーツをCADで作り工場に送り込んでみた。すると「貼れた」の返答。 でしょ! そして工場からトップドームと本体が紙輪で合体した初回サンプルが届いてさらに驚いた。その接着強度を増した紙輪が初めて見る独特な意匠性をかもし出していたからだ。これがドームカンの誕生である。すぐに知的財産を申請し現在ではその技術は特許化された。2016年の伊勢志摩サミットでは外務省と三重県の公式マークを付け伊勢茶パッケージとして各国の要人に配布、報道陣にも配布され世界にPRした。その後もさまざまなパッケージ開発をしたが、このドームカンの件があったからだと思う。 全ては「出来ない」という言葉が返ってくるのは当たり前だから気にしない。でも完成するまでいっさいそんなことに耳を貸さない。大切な事はどのようにしたら出来るかが必要。このトレーニングは日々のどんな問題解決にも重要な要素となった。実にシンプル。その繰り返しです。プロとして出来ないを力説するよりも、さらっと難問を超える人になりたかった。
 
 

そしてドームカンが誕生した。

 
 

ドームパーツに惜しみなく技を投入してくれた成形メーカー。

ドームの成形加工は紙加工業界では異業種的な存在。そんな中で、当時出会った成形メーカーの若き営業マンが
親身になりこの紙製の紙管にプラスチック成形品を取り付けるという、しかも難しいドームのディティールを私から
問診してその通りに実現してくれた。今ではその若き営業マンは会社を代表する営業マイスターになっている。
ドームの絶妙なR感は機械では出せない。最後は手作業の微調整だ。今は引退したその会社の金型マイスター達がこの美しいドームを完成させてくれた。昨今多くなった駄目です、出来ませんを連発する引き出し力の少ない製造業営業マンの中で この様に知恵を出し、現場を動かし、果敢にチャレンジする営業がその後に顧客や協力工場を引き付け、パッケージャーとして、人として何物にも替えられないマイスターとしてのパワーを得て行く事を目の当たりにした。 
本当にありがとう!
 
 


 
 
 

知的財産のメンターである弁理士 塩川先生との出会い。

 

 

 私に仕事の面白さを教えてくれた恩人。

 
 知的財産、特許の響きは皆さんどう思われますか。自分の事のような気がしない、とても高いところにあるような気がします。実際に私自身がその典型的な思いでした。工業的な事をまったく知らない体育会系の私にとって、法律?・・独占? など良いイメージはなかった。最近では特許を開放してヒーローになったりする人も出てますよね。知的財産を勉強すればするほど本当にそれでいいのかと思いました。もともと医療行為では人道的な事柄から特許が取得出来ない仕組みになっています。でも開放するとは、その発明自体が医療系企業発明を守る特許と医療行為との線を引かれたスレスレな部分にある特許法であり、特許取得し独占すれば医療行為に近いため、話題になり人としてその行動が注目されますから・・・。しかしこの制度は世界的なものでこれが無いと産業が発展して行かないことがわかってきます。発明者を守り、次の発明に尽力するための法律なんです。もし開発費をかけて発明してもそれを真似して他者に製品化されたら、もうその発明者は次から発明をしなくなってしまいますよね。また開発スポンサーも付かない。よって産業が発展して行かなくなってしまうのです。ドームカンを開発した時に本社の地元である富士宮市のご出身である弁理士塩川先生と初めて東京の虎ノ門にありました国際特許事務所にお邪魔致しました。 どのように進めて行って良いかわからない私に難しい話をする前に、知的財産に対する軽いディスカッションから入って頂いた事で私の緊張を解いて頂き、考え方が変わって行くのがわかりました。「カネザシ君 営業が一番特許を発明しやすい職域だよ!」って言って頂きました。営業が・・?そんな開発部じゃないのに?先生曰く営業は日々、お客様と接し、困っていること、こうなりたい事を吸い上げやすく、そこに発明のネタが沢山転がっているんだよ!と言って頂いた、そして特許発明って産業革命的な凄い事を起こさなくても、とっても身近な事で小さな事柄でも取得できるんだよ!とも言って頂きました。しかしそこから始まる先生のパッケージに対する問診は凄かった。プロとしてのシフトチェンジが凄い。先生はパッケージ製造に携わった事が無いにも関わらず、核心を突いてくる。なぜそうなると思う?どうして?これだと駄目なの?問診の嵐です。いつも脂汗をかく自分がいました。でも数多くの問診のあと最後は発明の核心にたどり着き、プロの厳しい顔から先生の笑顔が出る。これが核心に触れた瞬間のサインなのです。打合せ後は自分でも問診で不明確だった所が明確になり理解できるようになったことで、プロのコーチングを実体験した。仕事が面白いと感じさせてくれた瞬間だ。そんな経験から顧客への問診姿勢もこの時に学んだ。その後も先生と少しでもプロの領域でお話がしたく、自ら国家試験である知的財産管理技能検定に臨み合格。知的財産管理技能士の資格を取得した。現在でも1級と知的財産アナリストを目指しチャレンジ中である。特許は特許庁から拒絶されるのはほとんど99%。その誤解を補正して行く作業が入るが、先生からのお薦めで良い経験になるからと、2回ほど特許庁に直接出向き、拒絶された審査官に対しての審査官面談に先生と同行して臨んでいる。その頃には知的財産管理技能士となり、話の内容と進め方が少しわかってきているので面談は質問も自分で出来、とても刺激的で楽しかった。最初の頃と違い、先生も私に対して少し高いレベルでお話をして頂けているのがわかりました。その後も数々の発明を塩川先生と私二人で仕上げてきたが、全て特許申請したものが9件連続100%特許化されている記録を更新中で、どうもそれは凄い事らしい・・?今も二人で仕上げて、結果を待つ申請が複数件ある。
 


 
 
 

ドームカンを開発し念願の展示会へ1コマ出展を果たす。

 

  2008年 ギフトショー1コマ単独初出展

 

 単独出展は刺激的だった。30cm角のブースから3m角の単独ブースでオリジナル容器をもっての出展ですから、うれしくて準備も人の何倍も掛けてしまい、前の日は寝れない始末。装飾も施工業社にお願いするとコストが掛かるので自前で作り上げていた。1コマなのに展示会準備日は朝7時に入り、夜9時まで残業までして飾り付けた。ほとんどの企業がもうとっくに帰っている。今思い返すと若かったなぁと思います。展示の色もかなりきつい色を使っていた。ブース入場者は予想以上に入り感動してしまった。この時に体験したブース来場者からの「箱屋さんなの?」の口々に言われるキーワードがさらなる展示改良の重要テーマとなった。その箱屋さんには見えない・・・はやはり今まで業界が行ってきた所狭しと展示するひな壇飾りの無機質展示が他の業種から圧倒的に遅れをとり顧客の中に強烈にイメージされているらしい。我々はデザインを扱っているのに、デザインの感覚を失っている。デザイン的な感覚がこれからの世の中を動かすことになる推測の中、そのイメージはこのまま行くと優秀な人材が集まらなくなるという危機感を生み、変えてゆかなければならない大きな問題点だと一早く察知した。デザイン感覚とは絵が上手いとか、そのレベルの事では無い。例えば工場のレイアウト、オフィス環境の改善から仕事の進め方などの根底となるセンスまで広域な創造領域をデザインと表現する。まさに今はデザイン感覚がとても必要となる時代の真っ只中なのです。
 
 

初めての展示 
2000年初頭 業界複合ブースにて
30cm角の面積だった。
 
 

この画像は2000年初頭、業界の複合展示会に販促するため要請され、私と営業課長が2名張り付いた当社の初展示ですが、30cm角だった。これでも展示会に立てて、とてもうれしかった。しかしその反面、横4コマもあるのにお客様は全くと言っていいほど入らなかった。どんなに製品を所狭しと数多く展示しても逆にインパクトに欠けるし誰も近寄らない。魅せるデザイン感覚的なブース演出が絶対に必要だと、この時の経験が後に単独で連続出展する時の心構えを強く固めてくれた。東京営業所の全ての変化はこの30cm角のブースから得た事で始まった。

 

2000年初頭30cm角のブースから2016年ギフトショー3コマ(9m)出展に到達 常に実店舗で商品が販売されているような展示を心掛けている

 
 
ブース設計営業プロデュース:アイパックス イケタニ株式会社 金指恵司
ブースグラフィックデザイン:アイパックス イケタニ株式会社 稲葉光弘
ブース施工:サンキャスト株式会社 担当 青谷秀朗
 
 
 
自前で製作された2016年ギフトショーブースの10分の1サイズミニチュア(紙製手作り)
これにより視線導入角と展示アイテムは徹底的に検証する。
 
 今では当たり前のように包装産業も展示装飾に力を入れるようになったが、出展し始めた当時は当社以外ほとんどそんな展示コストを掛けるところが無く、展示会にも出てこなかった。私どもは早い段階から販売される店舗にも外資が入り、斬新なクリエイターたちが台頭し、とてもおしゃれに店舗設計が変化する時代が来ることをこの東京で体感し推測していた。それによってバイヤー側もそれに見合うハイクオリティーなデザインパッケージを求めてくる。反対もあったが、あえてそのためパッケージ製造メーカーのイメージを崩す展示を心掛け続けた。既存の所狭しと展示するブースでは集客出来ない事を過去の経験から痛いほどわかっていました。またこれだけのコストを頂いているのですから私には身になる実績を上げる責任があります。そのため自分の思いを押し通しました。ブース設計はパッケージ設計で利用するCADを使い全て東京営業所のスタッフによりミリ単位で設計した。10分の1サイズのミニチュアは自前で必ず作り、視線導入角は徹底的に検証された。2014年のフーデックスではアンティーク家具を用意し、一見アパレルメーカーと思われたがそれで成功である。開発品も年ごとに増え、今までのパッケージメーカーとは違う視点にお名刺で650社、ブース来場で3,500名以上が入場した。もうその時点で2コマでは来場者に対応できない状況になっていた。
また、2016年のギフトショーでは当社パテントパッケージであるペーパークリアーインボックスの素材代理店になっている株式会社樟陽商会の役員様よりペーパークリアーインボックスだけの販促をするため単独出展されるお話を受け、ブース設計と初めて展示会に立つ全国の営業マンに対しての営業プロデュース依頼を受け手掛けた。当社以外でプロデュースするのは初めてだったがその時に1コマで500社以上との名刺交換の記録を持つ。2,000部用意したサンプルとパンフレットは2日目に無くなってしまった。

 

  

2014年フーデックス 2コマ アパレルメーカーの店舗をイメージコンセプトとしたブース
板紙パッケージメーカーの中では初めて独自な展示路線を展開した。

 
 
ブース設計営業プロデュース:アイパックス イケタニ株式会社 金指恵司
ブースグラフィックデザイン:アイパックス イケタニ株式会社 稲葉光弘
ブース施工:サンキャスト株式会社 担当 青谷秀朗
 
 

 
 

 NPO法人とのドームカン企画。

 

  
第7回ワークショップコレクションにてドームカン
宝箱作りが開催された。2011年2月26日(土)~27日(日)
<開催場所> 慶應義塾大学 日吉キャンパス 
「造形を親と子のコミニュケーションに!」
 
 
 

さらにパッケージによって社会に何ができる?・・・

ドームカンを開発してから、
それを取り巻いて様々な事が起っていった。
展示会に連続出展し、そこで出会った
様々な人たちが我々の背を押してくれた。
今まさにその恩に答える時が来る。

 

 
 

画像は親子のコミュニケーションを発達させる関連のNPO法人と出会った時に企画したイベントの模様。その担当様から何か親子のコミュニケーションの切っ掛けとなることをやりたいという願いからドームカンを宝箱に見立てて家族へのプレゼント用のパッケージを親子で装飾して作らせる企画を作った。私はカラーバリエーションの豊富なドームカンを用意した。この日は大学の校舎内を開放して様々なNPO法人が多くのイベントを開催していた。そしてその日私にとっては衝撃的な経験をすることになる。他の企画を抜き出てドームカン企画に大勢の家族が並び、なんと一瞬で2時間待ちが出てしまい、受付終了してしまった。会場の3階から1階の外まで並んでいる。何なんだこれは・・言いようもない感動が沸いてきた。予想の3倍もドームカンを用意したが一瞬にして予約終了してしまった。その会場を許可を得て撮影させて頂いたが楽しそうに家族で装飾している姿に感無量となる。また子供たちの発想というか想像力というか、大人の忘れていた遊び心が炸裂していて完全に参った。ドームカンをカエルに見立てたり、人の顔に見立てたり自由な発想に刺激を受けた。この経験は自分にパッケージャーとして社会への役割と責任みたいなものを感じさせる切っ掛けになったのと、私が仕事で携わっている紙で作られたパッケージでもコミュニケーションの一部になれることを実体験した。「パッケージのできること・・・。」という東京営業所のHPでも利用しているキャッチコピーはこの時頭に浮かんだ。
 
   

もう教室には入りきれない。パッケージがなぜ!この時の衝撃が自分を変えた。
 
 
  
ドームカンの企画参加を待つ列は3階の教室から1階の外まで並んでしまった。
 
 
 
  やるなぁ~
 
 
 
 集中して取り組んでいる。
 
 
皆楽しそうだね!
 
 
 
  そこに取っ手?付けるんだ。
 
 
目的だった親子のコミュニケーションをパッケージで創造できたかな。
 
 
ありがとう!